企画展【学生寮で暮らす】第3回:寄宿舎の余暇と休日

第3回 寄宿舎の余暇と休日



11月4日から始まった企画展【学生寮で暮らす】、本日で3回目です。

今回取り上げるのは、「寄宿舎の余暇と休日」 
寄宿舎で暮らす彼女たちの余暇と休日についてです。

みなさまは休日、どのように過ごされているでしょうか。 
ここ数年、おうちで過ごす時間も増えたのではないかと思います。

寄宿舎で暮らすということは、授業のない時間や休日もその生活基盤が寄宿舎内にあるということを示しています。寄宿舎でのさまざまな活動のなかでも、余暇活動は大切にされていました。当時の寄宿舎では、寄宿生たちの役割分担の中で図書の購入を担う“図書部委員”がいたと同時に、寄宿生の娯楽の世話をする娯楽部委員がいたほどです。

それでは今から90年前の寄宿生たちは何を楽しみとして、いかに休日を過ごしていたのでしょうか。
今回は昭和5年(1930)の寄宿舎の様子を例に、寄宿舎での余暇活動や休日の過ごし方についてご紹介いたします。


1. 寄宿舎の余暇と土曜日

昭和5年(1930)の寄宿舎の余暇と休日を見てまいりましょう。
寄宿舎では土曜日から、平日とは過ごし方が異なります。その幕開けは朝のお掃除です。お掃除は起床後に毎日行われていますが、土曜日には通常よりも多くの時間をかけて丹念にガラスや机などを磨いていました。また、午後には浴室での洗髪、洗濯場が賑わいます。このように、土曜日は平日と過ごし方が異なるだけではなく、おやつや夕食が平日よりも豪華だったため、寄宿生にとっても土曜日はお楽しみの日でした。

次に、土曜日の夕食後の過ごし方について見てまいりましょう。
日常的な夕食後のレクリエーションは、ピンポン(卓球)、ラヂオ、レコードコンサートなどがありました。そこに土曜日の夜にはトランプ、お琴が加わりました。そのほかにも友人たちと団欒を楽しんだり、手紙を書く人もおり、それぞれ様々に土曜日の夜を過ごしていました。

ここで次の写真をご覧ください。和装と洋装の4人の寄宿生たちが机を囲んでいます。
これは何をしていると思いますか? 



闘球盤_a_ph_017-0031.jpg

正解は「闘球盤」です。

これは、明治時代に日本に伝わったとみられるボードゲームの一種で、当時の土曜日の夜のレクリエーションのひとつでした。盤の周囲から中心の穴に目掛けて、丸く平たい木製の球を指ではじいて入れるゲームで、盤上にある相手の球をはじき出して競います。

明治36年(1903)に出版された闘球盤に関する本『クロック術』によると、通常はふたりでゲームが行われ、4人で楽しむ場合は盤の向かい側に座る人と2人一組のチームを組んで、両隣に座る人たちのチームと対戦する形で行われていたようです。

また、通常は午後6時とされていた門限も、土曜日は有益な講演や有名な音楽会などがある場合は特別に9時まで延長されます。そして、土曜日の夜はあらかじめ認められた所へ外泊することもできました。


2. 寄宿舎の余暇と日曜日 

そして翌日、日曜日です。
日曜日、寄宿生たちは思い思いに活動的に過ごしていました。早朝からの明治神宮参拝や、校庭を写生、お弁当を持って終日お出掛け(春は汐干狩・摘み草・秋は芋掘り・野遊びなど)に行くこともありました。また、親戚・知人・友人に会えるのも日曜日が多く、貴重な1日でした。


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寄宿舎写真帖「校庭の写生」昭和5年(1930)3月

さらに、日曜日の過ごし方は外出のみならず、いいお天気の日は今も昔も洗濯日和、着物の洗い張りなどで洗濯場が賑わいました。

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以上、土曜日と日曜日の過ごし方を中心に「寄宿舎の余暇と休日」についてご紹介しました。学生寮や寄宿舎というと、勉学との関わりについて注目されることも多いかと思います。しかしそのなかでも、寄宿舎での授業外のお楽しみや休日の過ごし方について、そして当時の寄宿生にも週末の余暇を楽しむという営みがあったということを少しでもお伝えできていれば幸いです。

企画展【学生寮で暮らす】第3回は、歴史資料館MuSAの「まり」が担当しました。
次回は「戦時下の寄宿舎」をテーマに、「かめい」がお届けします。
また現在、【学生寮で暮らす】のTwitter連動企画#とある1日企画も開催中です。
こちらもぜひご覧ください。

参考文献
・「お茶の水女子大学百年史」刊行委員会編『お茶の水女子大学百年史』(「お茶の水女子大学百年史」刊行委員会、1984年)
・花王居主人『クロック術』(高美実五郎、1903年)(国立国会図書館デジタルコレクションhttps://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/859921最終閲覧日2022/11/17)
・三橋正幸「盤上遊戯「クロキノール(闘球盤)の伝来と普及の一端」日本レジャー・レクリエーション学会『レジャー・レクリエーション研究』77号、2015年、58-61頁
・日本国語大辞典(Japan Knowledge https://japanknowledge.com/lib/display/?lid=200202f633e2MPoWdFbG最終閲覧日2022/11/04)